
結局は気分が違うだけ
世の人々は、恋人というものを作ります。
愛し、愛される存在、心の支えとなってくれる存在。
そんなものを欲するのです。
しかし、実際、恋人というのは言うほどの幸せをもたらしてくれるものでしょうか?
世の中にいる恋人は、普段何をしているでしょう。
好きだよ、と声をかけあい、いちゃいちゃし、セックスする。
ただこれだけのことではありませんか?
そこに何か「恋人だから」という特別なことは存在するでしょうか。
たしかに、愛しい人と一緒にいられるのはいいことかもしれません。
むしろ恋人を作る理由はそこにしかありません。
ですが、それは逆に言えば、ただ自分の「気分」が違うだけ、ということでもあるのです。
相手のことを愛しているかどうかというだけで、実際は、同じ相手とのワンナイトラブをエンドレスに繰り返しているようなもの。
何も特別なことはしていません。
加えて、恋人というのには、常に「面倒くさいこと」がついてまわります。
嫉妬、マンネリ、喧嘩。
それだけでなく、一緒にいられないというだけで、寂しくなったり、悲しくなったりします。
むろん、自分が好きでいても、一方的に相手に別れを告げられることだってあります。
しょせんは他人ですから、いくら一緒になろうったって、結局相手を思い通りにすることはできないのです。
セックスフレンドのほうが断然便利
それでは誰も好きにならなければいいのではないか、これが私の持論です。
はなから恋人なんて作らなければいいのです。
結局、していることが同じなのですから、恋人がいなくたって、その「恋人同士ですること」を、適当な女で済ませてしまえばいい。
たとえばセックスフレンド。セックスフレンドは、ただセックスをするだけの友達ですから、面倒くさいことは何もありません。
よっぽどのことがなければ喧嘩なんてしませんし、相手のことを好きではありませんから嫉妬することもありません。
むろん、しょっちゅう会っているわけでもないですから、マンネリもない。
「そろそろヤりてぇな」と思うことはあるかもしれませんが、その人と会えないことで、寂しくなったり、悲しくなったりすることはない。
しかもこのセックスフレンド、正直、恋人を作るより簡単ですからね。
自分を好きになってもらうというのは、あなたが想像する以上に難しいことです。
恋人は時代遅れ
世の中の人々が、こんなに都合のいいことだらけのセックスフレンドという関係を見過ごしているのが、私には理解できないんですね。
それをいけないこととする偏見さえ存在する。
しかし、そんな偏見をお持ちの方も、家へ帰れば恋人とセックスしているのですから始末のおえません。
口だけだな、と。
体の関係無しの純愛を見せつけてくれるような人がいれば別ですが、まぁ、この世のそんな人種はいないでしょうね。
恋人を作る、そしてセックスする、という時代はとっくの昔に終わりました。
今はセックスフレンドを作り、いろんな人と、いろんな形のセックスを楽しむ時代なのです。
現役のうちに遊んでおかなければ、きっと後悔することになりますよ。